フレディが自身はエイズであることを知ったのはいつ?/映画『ボヘミアン・ラプソディ』事実相違点【ネタバレ注意】

映画『ボヘミアン・ラプソディ』の事実とは異なる点を切り口に、QUEENを語るコーナーです。前回の記事でもご紹介した通り、映画『ボヘミアン・ラプソディ』の事実とは異なる点について、あえてツッコミを入れて、それを切り口にあれこれとQUEENについて語っていくというコーナーです。(掲題映画を観たことを前提に書かれております。ネタバレはバンバンしていきますので、ご注意下さい!)

 

今回の記事では、フレディが自らがエイズであることを知った時期と、それをメンバーが知る時期について書きたいと思います。

映画での描かれ方

フレディがエイズであることを知る時期について、映画では、フレディがQUEENの他のメンバーとの和解を求める直前となっています。フレディがテレビに映されるエイズ患者の報道に感化されて医師のところに行き、エイズを発症していること(またはHIVに感染していること)が言い渡されるシーンですね。またLIVE AID直前に、QUEENのメンバーに自らがエイズを発症していることを知らせるという場面がありますよね(このシーンは何度見ても泣ける…)。このフレディの病が、LIVE AIDに向かう4人の一層の結束感を高める演出をしている訳です。つまり、映画ではフレディがエイズであることを自身が知る時期・メンバーが知る時期ともに1985年前半頃として描かれています。

しかし、事実は以下の通りです。

フレディが自らがエイズであることを知った実際の時期

まずフレディが自らの病を知った時期についてですが、映画でも登場するフレディの恋人であったジム・ハットンの著書『フレディ・マーキュリーと私』(1994年)では、フレディがエイズを発症していることを医師から言い渡されたのは1987年のイースター(4月19日)前後とのことが記述されています。LIVE AIDが行われたのが1985年7月13日ですから、実際は2年程度あとのことだったということですね。

ちなみにこのジム・ハットンのある種「暴露」的な要素のある著書(本人にはそのような意図は全くないです)『フレディ・マーキュリーと私』の中で、彼はメアリー・オースティンとの確執を暴露しています。実はジム・ハットン(及びその他2名のフレディの同居人)とメアリー・オースティンは、悲しいことに、フレディの遺産相続を巡って対立していたようですね…メアリー・オースティンはかなり酷く書かれています。
余談ですが、フレディが生前住んでいた豪邸「ガーデン・ロッジ」はメアリーに相続されました。筆者は2012年のQUEEN+Adam Lumbertの最初のツアーに合わせてロンドンに滞在した際、ガーデン・ロッジを訪れたことがあります。よく写真で見ていたように、外壁一面にメッセージがぎっしり書き込まれているものを想像していたのですが、実際に見て驚きました。メッセージが全て消されてしまっていたのです。しかも追加で書き込みができないよう、コーティングもされていました。写真はその時のものです。


確かに、ガーデン・ロッジはメアリーの私有地でプライベートなものであるから、ファンの間では「そっとしておいてあげよう」という意見が大半なのですが、ただ、メッセージを消す、という対応はどうなのかな?とも思いました(尚、メアリー自身の家は別途、生前フレディから与えられています)。ただ、実際にメアリーに会ったことのあるファンの話を聞くと、メアリーはとても良く対応してくれた、とかとても良い印象を受けている方ばかりです。私も実際にお会いしてみたいです(結局そこかい!)。

だいぶ話が脱線しましたが(それがこのブログの醍醐味でもあります笑)、では現実世界でフレディが自らがエイズであることを知った1987年4月とはどのような時期だったのでしょうか。
1985年7月のLIVE AIDで大きな自信を取り戻したQUEENは、1986年6月にアルバム『A Kind Of Magic』を発表、また同年6〜8月にかけて行われた彼らの最後となるツアー『Magic Tour』を成功させています(このツアーの音源・映像は公式にリリースされており、『Live Magic 』、『Live At Wembley ’86』、『Queen Live in Budapest』にて確認することができます)。そしてこのツアーの終了後、バンドは1年半程度のオフに入ることになります。各メンバーの充電とソロ・プロジェクトに時間を使うことで意見が一致したそうです。

フレディは1987年2月、ソロ・シングルの『The Great Pretender』をリリースし、英国のシングル・チャートで4位を獲得するヒットを飛ばしています(映画での描かれ方と違って実はフレディは自らのソロ活動は結構楽しんでおり、LIVE AID後も積極的に取り組んでいたのです)。また後に共同でアルバムを出すこととなるモンセラート・カバリエと初めて会ったのもこの時期だということです(ちなみに、このモンセラート・カバリエは2018年10月に85歳で亡くなっています。映画『ボヘミアン・ラプソディ』の公開前だったので、観ることは叶わなかったと思います。フレディのソロ活動についてあまり良くは描かれていなかったこの映画に対してどのような反応をしていたか知りたかったですね…残念です)。このようにフレディは、音楽活動がひと段落し時間ができた際に検査を受け、自らの病を知ることになるのですね。

フレディがエイズであることをQUEENの他のメンバーが知った実際の時期

次に、フレディの病についてQUEENのメンバーが知った実際の時期についてです。
ブライアンによると、実はフレディがエイズであることを”正式に”メンバーが知らされたのは、死の直前だった(”the band members were actually told that Mercury had AIDS only a short time before the singer died”)とのことです(Sacramento Bee[1993] )。もしかしたら、死の前日の公式発表で初めて正式に言い渡されたのかもしれないな…
ちなみに、フレディが当時自分がはっきりとエイズであることを明かしていたのは、ジム・ハットン、メアリー・オースティン、マネージャーのジム・ビーチ、そしてロジャーの奥さんドミニク・テイラーのみだったそうです(ドミニクに対しては、彼女が乳癌を患っていると聞いた時に話したそう)。

ただし、ボヤっとは、自分が病に侵されていること、時間に限りがあるということを、メンバーに伝えていたそう。
『フレディ・マーキュリーと私』には1989年5月にスイスのモントルーにあるスタジオの近くのレストランにて、メンバーが各々の伴侶を伴って食事会を開いた際、フレディが「告白」をしたとして下記の記述があります。

フレディはまだ割と元気そうに見えたが、いきなり右脚のスラックスをめくり上げ、その脚をテーブルの上に乗せた。ふくらはぎの横の痛々しく口を開いた傷がみんなの目の前にさらされた。「みんなそんなことで大変だと思っているのか!」フレディは言った。「じゃあこれを見てみろ。僕がどれだけ我慢してるか見てみろよ」
–中略–
フレディの体がかなり悪いことはバンドのみんなも分かっていたと思う。ただその晩フレディの脚を見て、彼ら全員の想像していたことがたしかなものになったのだ。

また、時期は定かではありませんが、ロジャーは、フレディからメンバーに下記の通り告げられたと、2014年のMUSIC LIFE誌のインタビューで語っています。

「フレディの自宅でミーティングがあるからと、全員が呼ばれてね。そしたら、フレディがこういったんだ。『僕の問題について知っているだろうけど、僕は何も変えたくないし、知られたくもない。それについて話したくもない。僕はただ倒れるまで仕事を続けたいんだ。だから僕をサポートしてほしい』ってね」(MUSIC LIFE[2018]

ブライアンも、同様のことを明かしていたと、アルバム『Innuendo』のデジタルリマスター版CDのライナーノーツ(吉田俊宏[2001])に記載があります。恐らくロジャーの証言と同じですね。
ブライアンは後年、こう明かしている。「あの日のことは忘れない。フレディはこういったんだ。『僕の病気がどんな具合か、察しはついていると思う。そう、その通りなんだ。それについては話したくないし、知られたくもない。ただ僕は動けなくなるまで、仕事がしたいだけなんだ。』とね。」
このロジャーとブライアンの証言は、映画でのフレディのセリフとほぼ一緒ですよね。
またフレディの妹、カシュは、ドキュメンタリー映画『Lover Of Life, Singer Of Songs』の中で、「ロジャーと一緒にフレディの部屋にいる時に、聞いた」と、こちらも時期は定かではありませんが、証言しています。
フレディがメンバーに自らの病について話をした時期については、諸説あるようですね。はっきりとは分かりません。
ただ、メンバーは、フレディの体の異変には早くから気付いていたことでしょう。1987年夏頃からは、病状が見た目にも分かるようになってきていたそうです。

QUEENのメンバーは早くからフレディの病について知っていた?

1988年1月には通算16枚目(スタジオ録音では13枚目)となるアルバム『The Miracle』の製作に取り掛かります。筆者は、この『The Miracle』の製作時期から、メンバーは既にフレディの病について気付いていたのではないか、と思っています。
『The Miracle』から、曲のクレジット(作詞作曲名義)は全て「QUEEN」で統一されることとなります。映画ではフレディがバンドに戻ってくる条件として他のメンバーが突きつける?という形で描かれていましたが、実際は、(これは推測ですが、)メンバー間の衝突による時間のロスをなくすためにフレディが強く希望し、メンバーもその背景を察して合意したのではないかと思います。
このアルバムに収録されている最後の曲(除くボーナストラック)に、『Was It All Worth It?(邦題:素晴らしきロックンロールライフ)』という曲があります。この曲では明らかにQUEENというバンドの「晩年」が意識されています。実はこの曲、あまりクローズアップされるような曲ではないのですが、筆者は隠れた名曲だと思っています。驚くほど複雑な構成で、”Black Queen”や”Bo Rhap”を彷彿とさせるようなめまぐるしい展開。あとギターソロがカッコ良すぎて何度聞いても鳥肌が立ちます(恐らくブライアンが主導して作られたのではないかと勝手に思っています)。筆者にとってはベストソングの一つですね。

サビの部分の歌詞を一部抜粋します。

Was it all worth it?
Giving all my heart and soul and Staying up all night?
Was it all worth it?
Living breathing rock n’roll, a godforsaken life?
Was it all worth it? Was it all worth it all these years?

本当に価値があったのだろうか?
全身全霊を傾けて 眠りもせずに打ち込んできたことに
意味があったと言えるのだろうか?
ロックンロールに全てを捧げて 神にも見放された人生に
本当に価値があったのだろうか?意味があったのだろうか?

そしてこの曲の最後にフレディ自らこう歌っています。

Yes, it was a worthwhile experience, hahahaha!
It was worth it!

そうさ!みんな意味があったんだ!
確かにその価値はあったよ!

リアルタイムでこの曲を聞いたファンの方にお話を伺ったところ、当時は「もう晩年っぽい曲を書くの?早くない?」と思ったそうです(当時QUEENメンバーは40歳前後)。

そして『Miracle』の発表後間もなく、バンドは新しいアルバム製作のためスタジオ入りすることになります。そのアルバムが、フレディ存命中最後に発表されたアルバム『Innuendo』となります。言わずもがな、『Innuendo』では、より「限られた時間」が色濃く出ることになります…

このように、クレジットが統一されたこと、また曲が明らかに時間に限りがあることを意識して作られていることから、『The Miracle』製作時にはもうメンバーはフレディの病について気付いていたのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

まとめると…

長くなりましたが、結論、フレディが自らがエイズであることを知った時期とそれをメンバーが知る時期は、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で描かれている時期よりだいぶ後だったということになります。ただし前回の記事でも言った通り、映画に事実と異なる点があるからと言って批判しているわけではありません。むしろ、フレディのエイズ発症が、ある意味QUEENを再度結束するきっかけとなったという点は、映画でも事実でも同じです。その部分に触れることはQUEENを語る上では必要不可欠な要素だと思うので、この映画における描き方についての筆者の評価は、「うまいこと入れた!素晴らしい!」につきます。

どうでしょうか。「フレディはLIVE AIDの時点ではまだ自分がエイズであることを知らなかった」というお題で、ここまで長くなってしまいました(笑)

最後までお付き合い頂きありがとうございます。
このような調子で次回も書かせて頂きますのでお楽しみ下さい。

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